その昔、 あの一休禅師の寿命がいま尽きようとしておった。
弟子たちは枕元でその生涯を終えようとする一休禅師をとても心配しておった。 一休禅師は消えゆく命の炎を最後に燃やしながら、一通の封をした手紙を弟子たちにこう言って渡したのじゃ。
「いいか。 なにかとてつもなく大変なことがお前らの前に立ちふさがって、
もうどうしようかと途方に暮れた時にこの手紙を開けて読みなさい。 しかしそれまでは決して開封してはならぬ」
そう言って間もなく、一休禅師は息を引き取った。
しばらくしてのち、 ある時、弟子たちに思いもよらぬ難題が持ち上がった。弟子たちは悩みに悩んだがもうどうしようもないところに追い詰められておった。
その時に弟子の一人が叫んだのじゃ。 「そうじゃ!一休禅師が遺言に言っておられたあの封書を開ける時じゃ」 弟子たちは、そうじゃそうじゃと手を叩いて喜び勇み手紙を持ってきた。
あの偉大なる一休禅師が我々に最期の言葉として遺してくれたのじゃ。この内容こそ我々の大いなる救いの手立てが書いてあるのじゃ。ありがたや、ありがたや。
そうして、弟子の一人が一休禅師の手紙を頭上高くに頂いて開封した。
そして、弟子たちが目を見開いて眺めた手紙にはこう書いてあった。
「大丈夫。 心配するな、なんとかなる」
この話はここまで伝わり、弟子たちのことは伝えられておらぬ。
この話は難しい。
軽く 捕まえて無責任な人生を送るわけにもいかず、さりとてあれだけ人生の質を高めてこの世を去った一休禅師が
最後の最後に弟子達に言い聞かせておきたかった言葉である。
事実を事実としてそのまま受け入れることはなかなかの修行のいることではある。しかし、悲観にくれて更なる窮地を呼び込むのもまた人間の波動なのである。
これは実はとても大切なことであることに人生経験の年齢にならないと分かりづらい。人間は運を信じるが、運のメカニズムを考えようとはしない。
実は悲運も幸運も「たまたま」だけではない、その人の生き方が長い積み重ねの中で影響していく。
そのことをいくら説いても人は鼻で笑う。
さすれば一休禅師は一言でこういうしか無かったのではないか。
遊庵ひで禅師とよく話題に出てくる話なのじゃ。
一筆 書いてみたのじゃ。
ジュエリーミムラ 社長:三村真二
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