吉田拓郎。
いや、僕が夢中で聴いていたころは、「よしだたくろう」と名乗ってた。
中学生の頃だ。
僕が中学1年生でギターを初めて買ってかき鳴らすのに、大雑把な曲の拓郎はうってつけだった。
ビートルズも同時によく聞いていたが、まだアルペジオも怪しいもので、何しろコード進行をしながら英語の歌詞を歌うのは大変だったから、拓郎ばかりギターをかき鳴らして叫んでいた。
1970年代。
広島カープ初優勝の快進撃の頃である。
広島が熱かった。吉田拓郎は僕の広島時代の中学の先輩でもある。
広島は熱かった。
拓郎ファンからすれば、「拓郎は70年代」なのだ。
あとはオマケである。そんな70年代に広島は「広島フォーク村」という空気感をまだ残していたように思う。村下孝蔵は広島フォーク村の2期である。
あの頃は「拓郎派か陽水派」という棲み分けがしっかりとあった。
陽水派には、繊細なイメージがありそれに憧れて陽水派を名乗る奴が出るほどである。
だいたい、拓郎派はオンナにもてない(笑)
そこで拓郎派は苦しまぎれに、「陽水を好きな奴は軟弱である」という宣言を日本中でして回るのである。その2人が泉谷しげると小室等と4人でレコード会社「フォーライフ」を立ち上げた時は興奮した。
しかし、間も無くフォーライフも経営とは何かも分からぬミュージシャンの集まりが露呈して破綻。
ずいぶん拓郎を聴いてなかった。
もう僕の中では正直、終わったのが吉田拓郎であった。
吉田拓郎も「40歳代はつまんなかった。楽しくなったのは50歳からだ」と公言するほど
周りから見ても覇気のないー昔の拓郎では考えられないー男になったのだ。
「もう萎えていた。後ろ向きに考えていた」と元気のない吉田拓郎を見て、居ても立っても居られないいられなくなり、彼のために歌を作ったのが、吉田拓郎ファンの中島みゆきである。
「君よ永遠の嘘をついてくれ」(作詞・作曲 中島みゆき)
いつまでも強がって生きていて行って欲しい、というまさに僕たちの気持ちを代弁するかのような
タイトルを拓郎のために作ったのである。
2006年の吉田拓郎の「つま恋」のコンサートでの2人のこの曲は、素晴らしく格好いい。
「オールナイトニッポン ゴールド」でのラジオで喋くる2人も楽しい。
どちらもYouTubeでは人気である。
こんど、レディオBINGO(エフエムふくやま)の番組で、「吉田拓郎特集」でもやろうと思ってる。 拓郎を聴いて元気の出る世代は、驚きほど多い。
私の中学だけでなく、大学の先輩でもある吉田拓郎先輩である。
大学には拓郎の「今日までそして明日から」の碑が今やあるという。
大学がこの歌を選んだ意味を後輩たちは聴きながらかみしめて欲しい。
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